実は私は、生まれつき障害を持っています。
見た目は普通、体力的にも至って健康です。
街を歩いていても、わかる人は恐らく皆無でしょう。しかし、私は紛れもなく「障害者」です。
私は「色がわからない」のです。
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当連載では、色覚異常者の目線から、色覚異常についてご紹介してきました!
第三弾となる今回は、なんと色覚異常を補正することができるレンズを体験!正常色覚の友人にも同行してもらい、体験の様子のレポートをお届けします!
*色覚も感覚のひとつなので、一例として読んでいただけたらと思います。
目次
色覚異常の度合いを知る
我々が体験のため訪れたのは「ネオ・ダルトン株式会社」という、色覚補正レンズを販売している会社。補正レンズの体験、相談を無料で行っているため、そのサービスを利用させていただきました!
私:「こんにちは。
本日はよろしくお願いします!」
友人A(以下「A」):「こんにちは!」
ネオ・ダルトン(以下「ネ」):
「こんにちは。」
「本日は補正レンズの体験ということでしたが、まずは色覚異常の度合いを検査して見ましょう。」
私:「度合いの検査…ですか?」
ネ:「はい。色覚異常といっても、その度合いや見え方は人それぞれです。普通のメガネのように、一人ひとりの度合いにあったものでないとよくありません。」
私:「なるほど。」
15個の薄い赤・緑・黄色の少しずつ色が違ったこまを、色が近い順に並べていく検査。
私:(うーん…よくわからないけど、えいっ。)
A:「え!?なんでそうなるの?」
どうやら赤系と緑系がごちゃ混ぜになっていたようだ。
ネ:「色覚異常者の方だとこうなるんです。ちょっとびっくりですよね。」
「この結果をみると、異常の度合いはとても強いわけではないですが、弱いともいえないですね。補正がうまくいくと、きっと驚くと思いますよ。」
生まれて初めて色をみた
ネ:「では、こちらが色覚補正レンズになります。」
私は恐る恐るメガネをかけた…。
私:(あれ?意外と変わらない?)
ネ:「では、これを見てください。はじめはレンズなしで、次にレンズを通して。」
差し出されたのはいくつかの写真や絵。
いわれた通りにしてみる。
私:「…ええ!?」
かなりの衝撃だった。今まで自分が赤やピンクや緑などと思っていた色とは、全くの別の色たちで彩られた世界が、そこには広がっていた。
赤色は光っているかのごとく輝いていて、緑はとても落ち着いていて深みがあった。そして私は、紫という色を生まれて初めて見たのだった。
別世界のものとも思える、さまざまな写真や絵を見た。とてもきれいだと思ったのだが、今まで見ていた色と補正後の実際の色が違いすぎて、どれが何色かわからなかった。
ネ:「自分が思っていた色と違って戸惑うでしょう。色覚補正レンズを日常的に使うなら、また1つ1つの色を覚えていかないといけないんです。」
私:「なんだか赤ちゃんになった気分ですね。笑」
私にしか見えない世界
ネ:「ちょっと面白いものがあるんですよ。」
そういってネオ・ダルトンのスタッフさんが取り出したのは、よくある色覚異常の検査表だった。様々な色のドットが円形に並び、その中に見えてくるある数字を当てるものだ。
ネ:「これ、なんて数字に見えますか?」
私:「えーっと、4ですね。」
A:「え?」
ネ:「これは?」
私:「2。」
A:「ええ!?」
私:「本当はなんて書いてあるの?」
A:「いや、何の数字も見えない。」
ネ:「そうなんです。」
「これは色覚異常の方にしか見えない数字なんです。」
私:「え、そんなものがあるんですか?」
ネ:「はい。色覚異常というと、何だか障害者というイメージが強いですが、色覚の特性が少し強いだけなんです。
無意識のうちに、私たちには見つけられないものを見つけることができます。絵だって苦手と思われがちですが、実は得意な人も多いんですよ。あのゴッホだって、色覚異常だったといわれています。」
私:(確かに小さいころ保護色の虫をよく捕まえてたっけ。絵も得意だったしなあ。)
A:「へぇ~。見えないだけじゃなくて、逆に見えるものもあるんですね。」
ネ:「そうなんです。」
「色の感じ方が少し違うだけ。視覚、聴覚、聴覚、味覚…感覚はどれも、個人差がありますよね。その差のひとつに過ぎません。」
私:「なるほど、そういう風にも考えられますね!」
これにて、今回の体験は終了。
自分が思ってきた色と、実際の色の差には本当に驚きました。きっともっと、自分の知らない世界があるんだろうなと。
しかし、逆に自分たちにしか見えないものもある、というのも驚きでした。現実問題、異常者と健常者は双方が歩み寄ってどんな社会にするのか考えなければいけないけれど、根本的にいい・悪いという考え方はする必要がないのだと感じます。
個人個人の、社会に対する歩み寄りの努力は前提として、どんな人にも生きやすい社会にできたらいいなと思います。
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