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自分自身が自分を差別していた
今はポジティブに見えますが、いつごろそうした意識は変わったのですか?
20代はそのネガティブな感情で走っちゃったので、目が見えなくてもすごいって言われることをずっとやってきたんですよ。色んな方に協力をいただいて、でも根底では自分を受け入れていなかった。社会のせいだと思っていました。でもそれが変わったのは、29歳でサンフランシスコ大学に交換留学に行った時のできごとがきっかけでした。
アメリカのキャンパスで道に迷っていたら、ある男性が助けてくれて校舎まで連れて行ってくれたんです。何度もお礼を言っていたら、引き止められてこう言われました。「お前は今、自分が、目が見えないことを申し訳ないと思ってぼくにお礼を言っただろ」って。「君の目が見えないことはしょうがないことだし、君にできることはあるんだから、申し訳ない様子でお礼を言うな。将来の仕事とかで社会に貢献すればそれがぼくへのサンクスになるから、無駄にお礼を言うんじゃない」ってね、説教されたんですよ。とにかくぼくには衝撃だったんですね。「目が見えないことを俺は申し訳ないと思っていたんだ」って。
自覚もしていなくて。ぼくはけっこう障がい受容できていると思い込んでいたんです。でも20代を振り返るとやっぱり突っ走っていたし、目が見えない人と関わるのを避けていたし、なるべく視覚障がいから遠いところへ行こうとして、視覚障がいの自分を薄めて、健常者と一緒にいることであたかも自分が普通なんだと思い込むようにしていました。
でもそこで、「社会がどうのこうのというよりも、自分自身が自分を差別していたな」って気づいたんですよ。それですごく僕の中にインパクトがおきて、日本に戻ってきたら面白かったですよ。街中で色々な人から声をかけられるようになりました。それくらいそれまでは一人で生きられるオーラを出していたんだと思って。よく「心のバリアフリー」とか言われますけど、障がい者のほうも歩み寄るところはまだあるんじゃないのかなと思うんです。
これを健常者の人が言ったら問題になると思うんですよ。当事者じゃないとそういう厳しいことは言えない。障がいを理由に諦めちゃったりとか、ちょこっと就活して採用されなかったら「社会が障がい者に対して理解がない」と言い切っちゃったりするのは乱暴じゃないですか。
努力とか我慢じゃなくて、自分達から知ってもらう場や、そのコミュニケーションをする場が必要だなと思ったのが起業の根源です。
ですから、団体理念の「違いを価値に」というのは、自分の障がい受容につながっているんです。実は起業前に理念を考えているときは「障がいを違いに、違いを価値に」という言い方をしていたんです。障がいというのはネガティブに思っちゃうけども、何事もメリットデメリットあるので、淡々と違いとして受け止めて活用していけたらなって。最終的には「障がい」だけにこだわるのもダイバーシティとしてはおかしいなと思い、「違いを価値に」としました。
障がい者自身が一番自分のことを差別してしまう可能性があるのではないかというのは、確かに当事者にしか言えない言葉ですね。説得力があります。
では、久保さんは日本ダイバーシティ推進協会の活動を通して、どういう社会を作りたいのですか?
障がい者であっても楽しく幸せでいられる社会を作りたいと思っています。もっと言えば、障がいの有無に関係なく、だれもが自分らしく幸せに生きていける、そんな道筋を創っていきたいのです。
たとえば、「障がい者」という言葉を変えようという運動がありますよね。仮に「チャレンジド」という言葉に変えたとします。でも「障がい者」という言葉を「チャレンジド」と置き換えたとしても、日本人全員の頭の中にあるそれまでの障がい者に対するイメージが変わらなければ何も意味がないんですよ。
「障がい者」って言葉に対して、当事者もそうだし社会も、ネガティブなことだけではなくて、人としての違いというか、「日本人」くらいのカテゴリーとして淡々と受け止められるくらいの文化と社会背景になったら、障がい者雇用促進法や障がい者総合支援法はなくなるだろうし、そうした「人としての違い」で受け止め合えるのが、本当はいよいのではないでしょうか。
代表の久保さん(左)と、 同じく共同代表の肥後道子さん(右)
障がい者であることが楽しくなる社会、素晴らしいですね!
では最後に、ガクセイへのメッセージをお願いします!
プレゼンの場数を増やすといいと思います。
ぼくは大学時代に毎週授業でプレゼンさせられていたのが、今仕事に非常に生きているんです。うまくできなくていいので、何事も場数を踏むことです。
プレゼンテーションって、伝えることだけじゃなくて、そこにいるだけでプレゼンテーションなんですよ。「プレゼント」というのは、英語で「存在する」という意味ですから。
どういう生き様を見せるかとか、どう生きるかってこと自体が神様からもらったプレゼント、命や存在というものを社会に示していくプレゼンテーションなので、そういう意味でも「人に伝える」という経験を積んでおくと、必ず仕事に役に立つと思います。
久保博揮さん、どうもありがとうございました!!
(編集後記)
ひきこもりと失明という絶望的な状況から、「社会に対する復讐心」というネガティブなエネルギーを原動力に人生を再開させた久保さん。しかし現在は非常に明るくユーモアもあり、「いつか映画監督になろうと思うんだよね。全盲の映画監督っておもしろくない?」などと、夢を楽しそうにお話されていました。その閉じたまぶたの裏には、誰よりも夢と希望に溢れた景色が映っているのかもしれません。(久保)
<参考URL>
日本ダイバーシティ推進協会のホームページ:http://j-dna.org/
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