今回は、原田治のイラストについて。
ある年代以上には、なじみ深い存在かと。
有名な作品では、ECCジュニアの看板でしょうか。
ほかにも、ミスタードーナツの景品やカルビーポテトチップスのキャラクターなど。
誰でも、このポップなキャラクター達は見たことあるはず。
カワイイ!と言えるイラストばかりですが、こんなイラストが時々出てきます。
ここで疑問です。なぜポジティブな表情なのに、どこか物悲しい雰囲気があったり、ネガティブな表情をした作品も存在するのだろうか。
商業デザインでは少ないですが、この百貨店で行われた展示会では、全体の1~2割程度で、こういった作品がありました。
このちょっとした異様さが、原田作品の魅力なのかもしれません。
しかし、表情が異様な点は、その表情をしているイラストの人物そのものにある気がします。
一般的には、絵画に喜怒哀楽の表情が描写される場合、それらは「なぜ笑っている・泣いている・怒っている」といった、感情の原因が推測できます。
有名なものでは、ピカソの『泣く女』でしょうか。
当時の社会情勢やモデルの性格、ピカソ自身の内面的なものが『泣く女』の泣いてる原因であり、『泣く女』に限らず、他の絵画であっても、周りの景色や服装といった要素で、「感情の原因」は推測できるのです。
原田作品に戻りましょう。先ほどの泣いてる女の子を例にしますと、泣いてることは明確なのですが、なぜ泣いてるのか? が推測できません。
背景はありませんし、服装も極めてシンプルです。泣いてる女の子以外の情報が一切無く、原田自身の内面的な感情を込める余地もありません。
原田は自身の作風について、こう記しています
終始一貫してぼくが考えた「可愛い」の表現方法は、明るく、屈託が無く
健康的な表情であること。
そこに5%ほどの淋しさや切なさを
隠し味のように加味するというものでした。
『OSAMU GOODS STYLE』(ピエブックス、2005)より
淋しさや、切なさを感じるのは、原田の意図的な表現方法ですが、
ここでいう「淋しさ、切なさ」はネガティブな表情そのものではなく、
極限までイラストをシンプルにすること、ではないかと考えられます。
シンプルにすることによって、余白ができ、
そこに「淋しさ、切なさ」を感じるのではないでしょうか。
このイラストは、景色の全体を描写したものですが、余白がふんだんにあることで「淋しさ、切なさ」が演出されてます。ちなみに、ラジオから出ている「MISERY」という単語は、惨めとか哀れという意味です。
一つ一つは明るくて、屈託が無いのに
合わさることによって、淋しいイメージが出来上がっています。
これが原田作品における、かわいさの根源ということでしょうね。
*写真は全て、大丸札幌店で行われた展示会にて撮影したものです(撮影許可済み)
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