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シリーズ アメリカの大学 現地本格編①

 最近僕のポストがないと思っていた方(いるか知りませんが)、お待たせしました!
 海外特派員として加わったはずが、今までなんやかんやで普通の基地メンバーとして活動をしていました。ですが、2019年の9月からアメリカのアマースト大学に入学したので、これからは海外特派員としてアメリカの大学生活をお届けします!
 質問などありましたら遠慮なくコメントに書いてくださいね!

 初回は、日常生活を書くか大学の授業のことを書くか迷ったのですが、ひとまず後者にします(前者を書くとなんか勉強してなさげになりそうですし…)。

 ということで、今回は僕の受けている全授業について語り、その後普段の勉強について書こうと思います。

 

 

 

 では、まずは授業から!

 

①MATH 121 Intermediate Calculus

 

 意味不明な頭のアルファベットと数字について先に説明しておきます。
 アメリカでは、基本的に大学の授業の難易度を数字で表します。
 100が最も簡単、数字が上がると少しずつ難しくなります。一般的に400が、大学学部レベルだと最高なのですが、総合大学(と言われてピンとこない人はこちらの記事をご覧ください!シリーズ アメリカの大学③ リベラルアーツカレッジ)だと、もう少し高いレベル(500, 600…)の授業を受けられたりもします。そのあと、十の位、一の位を見ると難易度がなんとなくわかるという仕組みです。こういう基準っていうのは、大学間の編入などが多いアメリカでは、単位の認定などで合理的な決断を助けてくれますね。

 

 この微積分の授業は単変数関数の微積分学の上級・多変数関数微分の手前という扱いです。なので難易度としてはまあまあ難しい。ただ、東大の理系で多少数学をさらっていた僕としては、そんなにえげつないこともありません。というか、東大とアメリカのカリキュラムが全く違うので、知ってる内容も多発してきます(理系の学生にとっての鬼門、ε-δ論法は300レベルに行かないと出てこないようです)。

 ただ、僕はもともと東大受験生として伝説的と言っていい計算力がありません。さらに、微積分を面倒だと感じてしまう天性の性分ゆえ、今まであまりがっつり勉強しようと思ったことがありません。(大学受験時に学んだものくらいはなんとかなりますが、正直その上のロピタルの定理までやろうという気が湧かなかった)。以上二つの理由で、僕はこの授業を取ろうと思いました。

 これでも実は、アメリカ到着後に試験を受けて授業を1つ飛ばしているんです。(アメリカでは、学生に積極的に確認試験を受けさせて、できるやつはなるべく早く先に進めようという方針の所が多い。実際一年生で群論をやる人間離れしたのがいます。しかも、これ実は、他の科目に関しても言えます。1年生でマクロ経済とミクロ経済の300レベルの授業を取る化け物がいますからね…)

 ただ、この授業の期末試験を見る限りだと、この授業はおそらく現状試験を受けても飛ばせないと思われたので、仕方なく取ることにしました(できることなら飛ばしたかった。数ヶ月前に戻って多少数学勉強できないかな…)。

 ちなみに、アメリカの数学についてですが、学生の数学力にかなり格差があります。一年生ながら複素数の解析学をやる人間もいる一方で、生徒の大半は円周角―中心角で三角関数の半角の定理が導ける、ということが見えません。
 まあこれはアメリカの数学が、公式暗記―応用を繰り返したあと、一気にε-δなどの論理を用いて全てを書き直すという構成になっているからかもしれません。ともあれ、日本とは全然雰囲気が違います。数学できるなあって人は数学オリンピック世界王者レベル、できないなあって人は計算をひたすらしているだけ…といった感じでしょうか。僕がとっているこの授業も、基本は計算メカニズムの繰り返しなのでやっていて楽しいかと言われると微妙ですね。ただ、教授はとてもいい人ですし、個人的には嫌いな授業ではないです。日本で学んだことをくどくど繰り返す授業は国が変わったらまあ受けなきゃいけないものだと思っていますし、何より個人的にこういう数学の計算的側面や、関数や級数の動かし方みたいなものは最近ほぼ触れていなかったのでいいウォームアップになっていると思います。(そもそも知っていることを学びたくないとか言い出すと、東大で線形代数とかもかじったけど完璧とは言いがたいしやっぱ勉強し直そうかな…みたいなジレンマに付きまとわれること間違いなしです。だから、余計なことは言わずにとっととやるべきことをやる。これ大事。)

 

 

②FYSE 101-01 Progress (?)

 

 FYSEとは初年次セミナーを英語で言ったFirst Year Seminarの略です。

 この授業内容を簡単にいうと、人間社会がどのような変遷をたどり、より良い社会になってきたのか・あるいはむしろ悪化したのかを問い直そうという授業です。(だからProgressの後ろにはてなマークがあるというわけです。アマースト大のユーモアセンスの真骨頂!?)
 毎回様々な本から抜粋(この授業はどうも、多くの筆者のものを読ませることを優先しているがために一冊を丸ごとしっかり読もうという色は薄いようです)した数十ページを読んできて、授業内では事前に渡される議題に従ってディスカッション。さらに、毎週それらの議題についてのレポートが課されます。
 リーディングですが、難易度は本当に週によります。一時期話題になったサピエンス全史から抜粋がきたときは、50ページ以上あったのにも関わらず大半の学生は1~2時間程度でさらっと読んできて、深掘りすることができたようです。一方、ホッブス著のリヴァイアサンとかいう名前に負けない化け物が課されたときは、ページ数はサピエンス前史の半分にも関わらず、大半の学生が撃沈し、最終的に読むべき範囲がさらに絞られるという事態になりました。そのときすでに一読し終わっていた僕はほんっとうに複雑な気分でした!!!

 

 ちなみに、この授業ですが、個人的には全授業の中で最高だと思っています。理由としては、ここまでものすごいペースで活動してきた学生に対して小休止を提供するような毛色があるからです。読者の方は意味がわからないと思うので以下で詳しく説明します。
 アメリカの中でも最も優れた大学に来る人は、かなりの割合で「何かすごいことしなきゃ」って思っています。要は、レジュメに一つでも多くの煌びやかなもの入れようということですね。そうすると、きっちり本を読んで理解して、足元を固める勉強が大事だということを頭の中で理解しつつも、「早く読まなきゃ!」「ユニークで魅力的な批判的論考を書かなきゃ!」って焦るわけです。それに対してとことん否定的なのがこの授業。
 実は授業内のディスカッションなども、基本的には、著者のいうことをしっかり理解しようという方向に焦点が当てられており、個々人の価値観が衝突し合うような議論をしようという方向にはいかないんです。それもおそらく、上のようなスタンスから出るんでしょう。まずは正確に今までの大思想家たちの主張を理解し、それらの対比や類似性などを検証・理解する力を身につける。注意深く理解して行くプロセスを何より大事にするこの授業が、アマースト大学唯一の必修授業である初年次セミナーであるのはうなずけます。

 

③AMST/SOCI 200 Belonging in School

 

 AMSTはアメリカ学・SOCIは社会学です。
 この授業は、主にアメリカにおいて展開される多様な学校(かつて存在したネイティブ・アメリカンのための全寮制寄宿学校・ラテン系の生徒を多く持つ学校・アッパーミドルを対象にするある種特権的な学校)における教育を検証し、そこから学校という共同体に帰属するとはいかなることかについて掘り下げる授業です。
 自分の学問的興味とハマるこの授業は、個人的に大好きです。
 教授も非常に親切かつ、(授業の名前通り)全生徒をしっかり授業に巻き込んで行こうという努力をしています。全員に均等に発言の機会を割り振り、なるべく生徒の意見をその都度好意的に解釈しようとしてくれるので非常に助かります。
 この授業を受けていて非常に面白いのは、アメリカという人工的に形作られた国家における教育の検証が、いかに共同体の意味を定義するかという問いにうまく結びついている点です。
 アメリカ学なだけあって、全人種に平等な教育とはどのようなものなのだろうかという問いがこの授業の根底にあるのは間違いないのですが、そもそも日本人からすれば、人種間の教育的平等と言われても、あまりピンとこないのではないでしょうか?実は人種間の教育的平等は、無茶苦茶大事なことで、例えば文学を扱う授業(まあ国語ですね、アメリカ版の)でも、どの人種の作家を持ち出すか、どうやって教えていくか(ヒップホップなどの文化を交えて教えるのか、ヨーロッパに端を発する古典的な文学の教え方をそのまま踏襲するか)などで、人種間の教育成果の格差が目に見えて違う。まあそんな感じのことを教わってるわけです。

 

④SPAN 101 Spanish I

 

 授業内容はまあ題名でわかってもらえるでしょう、というか、説明することもない普通のスペイン語の授業です。
 僕は東大でスペイン語を一学期間本気で学んだので、この授業は意外と苦労なく進められています。アメリカ流だなあと思うのは、一度授業で説明したことはもうやらない点ですね。
 日本だと、例えば英語とかでも同じ文法事項を数回の授業で反復すると思います。でも、アマーストはそういうことをしません。一回で理解しろというよりは、一回説明したらあとは各自鋭意努力しなさいってことだろうと解釈しています。個人的には、一度説明したことなら自分で学びなさいっていうのはその通りでとても合理的だと思っていたので、嬉しい限りです。
 ちなみに、アメリカのスペイン語事情を話すと、スペイン語ペラペラな人は結構いるんです。高校でしっかり勉強しているから話せるという人、親がスペイン語圏出身だから話せるというパターンも。まあ、アメリカらしいといえばアメリカらしいですね。

 ということで、各授業の説明は終わりです!お読みいただきありがとうございました!終わり!ではなく、次は普段の自習の話です。

 

本当にこっちの学生はよく勉強しているか

 みなさんも、アメリカの学生はほんっとうによく勉強するよ〜、日本とは違うよ〜、やっぱ国際エリートは違うね〜、日本も勉強しなきゃね〜、みたいな話は耳にしたことがあるかもしれません。まあ、この説明はあながちハズレでもありません。ですが、僕も含めてえ別にそこまでみんな勉強に死にそうになっている感じではないです (海外大志向の人がこの記述を読んで、実際にやってみて図書館でキャンプする羽目になっても責任取れないので、あくまで個人の意見ってことで…)。
 これはアマーストの特徴かもしれませんが、みんな勉強は必要な分集中して取り組み、それ以上ナーバスになりすぎないようにしているのかもしれません。実際、みんなどこかおっとりとしていてタフな競争してるぜ感を全く醸し出さないんです。「俺ペーパーあんだけど〜、やべえわ」みたいなことはまあしょっちゅう聞きますが、それも、「ご飯おかわり〜」って言うのと変わらないテンションで言ってる感じですね。

 

 んでじゃあどんだけ勉強してんの?という話になりますが、正直時間に換算しづらい部分があります。例えば、リーディングも難しくなく、書かなければいけないレポートも少なく、数学も優しめだった学期初めは本当にやることがなかったのですが、中間テスト・ペーパー・リーディング・普段の演習が全部重なると相応に勉強することにはなります。

 夜1時くらいまで起きていることはよくある話ですし、昼間も、夕食の前に休憩を入れたり、参加しているオーケストラやジャズの練習がない限りそこまでだらだらはしていないので、数えれば時間的にもだいぶやってるのかもしれませんね。
 でも、あまり僕も勉強してる感がないです。なぜなのか書きながら考えたのですが、多分日本人の多くにとっては、以下の公式が成り立つんだと思います。

 勉強=受験勉強か試験勉強=机に座って問題を解くかモノを覚える

 確かに、こういう勉強はあまりないです。前述の通り、その手の勉強が要求されそうな科目は数学とスペイン語のみ。この二つは実は他の二つの負担をしっかり消化できるように軽めのものを選んでいるので、そういう意味ではさほど勉強量が膨らんでいません。
 じゃあ、こっちでいう「勉強」とは何か。例をあげると、

 ・教授に質問しに行って話し込む
 ・ライティングセンターに行ってアドバイスを受ける(ちなみに一回だいたい45分のセッションです)
 ・本をしっかり読んで理解する(本来勉強ってこれですよね!)
 ・Wordなどでレポートを仕上げる

 などです。
 個人的に、こういう類の勉強は大好きなので、時間をかけても精神的な負担がないだけかもしれません。気持ちの負担がなくても頭はしっかり疲れていくんですが…

 というような感じで、まあなんというか、授業に紐づいたことを年がら年中やっていてそれを勉強とネーミングしているというのが正しい認識かなあと思います。

 いかがでしたか?少しはアメリカの大学の学びを理解していただけたでしょうか?

 次回の投稿は11月末頃を予定しています!お楽しみに!

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gakuseikichi

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