10月に開催された東京学生映画祭(ガクセイ基地でも取材させて頂きました!記事はこちらから)でグランプリを受賞された「大鹿村から吹くパラム」。今回はその作品を監督された金明允さんにインタビューさせて頂きました。先日公開しました吉田就彦さんのインタビュー記事、木暮人国際映画祭でも上映される作品です。(木暮人国際映画祭 吉田就彦さんの記事はこちらから。)
作品自体のお話にも触れましたので、ぜひ作品を見て、インタビューと合わせて楽しんで頂ければと思います。今回のインタビューは第二弾になります。第一弾は以下のリンクからご覧ください。
【第一弾インタビュー:「大鹿村から吹くパラム」制作 映画監督 金明允さんインタビュー】
【youtubeのトレーラー:大鹿村から吹くパラム】
目次
「大鹿村から吹くパラム」について
―映画を撮影されて感じたこと、考えたことは何ですか?
僕は20代がとても辛かったんです。母の介護をしていたんですが、母も亡くなってしまっているんですよね。なりたいようにも全然ならないし、本当にクズみたいな印象で。人間関係も上手くいってなかったし、傷つけられたところもたくさんありました。この映画を撮る事で、その傷、というか、空いた魂の穴を治癒する、埋めてもらった感覚があります。もちろん大鹿村のためにも撮っているけれど、これは「個人的な」映画だと思っています。自分のための映画であり、僕自身が一番救われた映画ですね。
山と共に生きた時間はとても癒された時間で、すごく幸せを大事に感じさせてもらったなあと思います。運命的にいろんな縁がつながって、予想以外なところもあって面白かったです。自分にもたくさん変化がありましたね。
―大鹿村の魅力はなんですか?
そうですね…。一番最初に出てくるサイモンさんと1月1日に山に登ったんです。そう、もう死ぬかと思って。長野だからすごく寒いし、道もないし。いや、本当に山も急だしっていう。それで登って行った時に、猪と鹿が一緒に話しているのを見つけたんです。残念ながら撮影は出来なかったんですが。やっぱりそこで大鹿村にあふれている生命力を感じました。また、大鹿村に住んでいる人達は魅力的で、皆ストーリーがあるんです。面白いなと思いました。そういうのがあるのは大鹿村の自然の豊かさがあってこそで、春夏秋冬という一年を共に過ごすところから生まれるような気がしています。
だから、企画としても初めから「季節の移り変わり」を大事にしていましたね。そういうのが今回の映画の中で綺麗に映り、それも良かったなと思っています。
―この映画のタイトルは「大鹿村から吹くパラム」となっていますが、何故日本語の「風」ではなく「パラム」という韓国語を選ばれたのでしょうか。また、タイトルを付ける時にはどんなことを考えられましたか?
これ、今でも「パラム」で大丈夫かなって思う時があるんです。実はずっと撮影中も最初から最後まで考えていたことでもあって。元々は「風が吹く村大鹿村」「大鹿村の風」というのを考えていました。大鹿村と風はずっとセットだったんです。自分が風をどうやって描こうと考えた時に、僕がこの映画で大切にしたかった姿勢は「国境を越えて、自然を愛する人がいるよ」ということだったんです。なので、僕自身が国境を越えた一人として、自分のアイデンティティである「韓国人」という要素を入れたいと思い「パラム」という言葉を入れました。
―この映画の中で一番最初に登場するのはサイモンさんという外国の方でしたし、大鹿村自体も映画を見ていて、外国の方が比較的多い印象を受けました。
大鹿村は多国籍、多文化だと思います。僕はそのまま撮って、自然にそういう要素が撮れましたね。
―金さんは大鹿村の人から見ると「外の人」ですね。でもだからこそ、撮れるものもありましたか?
そう、それは面白いところです。僕が好きな「世界を見る立ち方」というのがあって。それは正面で見る時の顔、斜めで見る時の顔、もしかしたら、後ろから見る時の顔もあるという感覚なんですね。いろんな角度から見ると見えるものは全然違うということ。今回で言えば、自分という、「韓国人」というアイデンティティを持った地球人が映画を作る事で、大鹿村を日本人が撮影するのとは違う角度で面白く見せられるんじゃないかという意識がありました。「戦略」としても考えていましたし、そういう意味でも僕と同じようなアイデンティティを持つサイモンさんは本当に素敵な出演者だと思います。
冗談半分に聞いてほしいけれど、日本人は外国人から見る日本に弱いと思うんです(笑)僕はリニアのことから入るのではなく、大鹿村のライフについて伝えたかった。だから、この映画の最初はリニアではなく、サイモンさんという存在が暮らす大鹿村を撮ったし、その流れは脚本の時点から決めていました。もし僕が大鹿村でのそういう暮らしを撮らないままリニアのことを持ちだしたら、それはただの「反対映画」になってしまうかもしれなかったから、その準備は撮る前から考えていました。大鹿村の魅力があって、こういう構成を考えましたね。
ーリニアの問題も、自然の暮らしも、どっちも伝えたいということなんでしょうか。
人間を伝えたいんじゃないかな。ここにこういう人がいるよ、っていう。もし、僕が本当に反対映画を撮りたかったら、山を壊すところをもっと刺激的に見せたかもしれない。実際、ドキュメンタリーにはそういう刺激的、印象的なシーンは多くあります。でもそれを入れなかったのは、僕自身が都会に暮らしてきたからで。僕自身が便利で恵まれた生活をもう既に都会で送ってきている上に、大鹿村では「よそもの」だったわけです。そういう僕が突然「開発をやめてください!」っていうのはおかしな話だと思ったし、僕が撮りたいのはそういうものではなかったので、そこのところはきっちり厳しく考えました。伝えたかったことが映画を通して伝わったらいいなと思っています。
―映画の中で、大鹿村の子どもが「この木は何百年も生きていて、僕達のずっと先輩だから、切っちゃいけないと思います」と大きなぶなの木の下で言った後に、カメラが木を見上げるように上を向くというところがありますよね。どうしてああいう風に木を撮ろうと思ったのでしょうか。
あれはiPhoneで唯一撮影しているシーンなんです。大鹿村より以前に撮影させて頂いた短編でも楠を撮るシーンがあって、それも同じように繰り返し下から上へと木を撮ったんです。上手く言葉に出来ないけど、木を下から上へと見るだけで、複雑な気持ちが生まれると思うんですよね。
関係あるのかはわからないけど、僕自身が人を木としてみる事が多いんです。この人、どういう木なんだろう、と。この人はどういう木で、葉っぱはどうで、どんな色なのかって思う人間観を持っているんですね。20代前半からそういう風に思っていて。木って季節によっていろいろ変わりますよね。人間もそうだと思うから。
―素敵なお話だと思います。私はあのシーン、とてもお気に入りです。
僕も好きですね。ぐっと引き込まれるシーンだなと思っています。子どもがそのセリフを言うこともとても大事なことで、大鹿村に生まれて、ずっと生きてきたからあのセリフが飾らず出てくる。それが大鹿村の子どもたちのすばらしさでもありますね。
続きについて
今日のインタビューはここまでです。明日、第三弾が公開されますので、ぜひそちらもご覧頂ければと思います。明日のインタビューにはライターの編集後記も記載しています。もしよろしければそちらも読んでみてください。
また、インタビューを受けてくださった金さんの映画「大鹿村から吹くパラム」は現在こちらの映画祭からご覧になることができますので、ぜひ気になる方はアクセスしてみてください。
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