みなさんこんにちは、ガクセイ基地のあずなです!
今回は、QuizKnockが新潮社より出版した『学びのルーツ』という本を通して、自己分析と私の学びのルーツを深掘りしてみました。
私がQuizKnockに出会ったのは、コロナ禍の中学3年(2020年)、それから4年、5年の月日を経てもなお、彼らから学ぶことしかありません。
過去には伊沢さんの講演会レポートも執筆していますので、合わせてぜひご一読ください!
目次
『学びのルーツ』とは
▲QuizKnock著『学びのルーツ』(新潮社刊)
物理・数学・漢字・美術・哲学・文学・論理・クイズ ――それぞれが溢れんばかりの知識と好奇心を持つ、彼らの「学びへの情熱」はどのようにして生まれたのか? 幼少期のエピソードから勉強に目覚めたきっかけ、両親や恩師から受けた大きな影響、進路決定の理由まで、コンテンツを提供し続ける原動力の秘密が明かされる。 |
新潮社HPより
つまりはどんな本?
主観ですが、まとめ直すなら、この本の学びのルーツは以下の二つに大別されます。
- 特定の学びに関心を抱いたきっかけとそれを今でも好きでいる理由
- 学ぶことについての姿勢を作った幼少期
前者は、山本さんの漢字や鶴崎さんの数学、ふくらさんの論理。後者は、須貝さんや伊沢さんが該当しそうです。そしてこの本を読んでの感想を結論から言うと、
一口に「学ぶ楽しさ」と言っても、それは多様であり、彼らから私たちが享受した「楽しいからはじまる学び」もまた個人の解釈に委ねられるのです。
そのためこの記事では、
- 印象に残ったパートとそれを自分に置き換えたら何か
- 総じて自分にとっての学びのルーツは何か
の2点についてお伝えできれば幸いです!それでは早速!
できないことへの落胆
須貝さんのパート(特に見出し「東大に落ちたけど「オレ凄い」)を読んで、私は「負けること」や「できないこと」になぜ落胆するのか考えてみた。
生きていれば勝つことも負けることも、勝ち負けがあるからこそ頑張れることもあって。
だから私は勝ち負けが嫌いじゃない。
でもやっぱり負けると泣きたくなるし、悔しいし、もうやりたくないって思ってしまうこともある。でもそれはなぜか、なんて考えたこともなかった。ネガティブな感情に頭が支配されて、考えないようにすることが自分を守ることだと思っていたから。
だから今一度向き合ってみる。私はきっと、自分ができると信じているんだと思う。でも同時に自分はできないんだってわかっているんだと思う。
幼少期、私はピアノを習っていた。それはそれは緊張しながら初めての発表会(簡易的なコンクール)に出場したわけだが、親からこんなことを言われた。
「自分が一番上手だと思って弾きなさい!」
緊張していた私を勇気づけてくれた大切な言葉だ。でも弾き終わった私がそれに対するアンサーとして親に伝えたのは
「どうしよう!私、1位になっちゃうかもしれない!!」(4歳とかだったから許して)
これは自分ができると信じているバージョンの私。当然一位なんて取れるはずもなく、負けを経験したわけだが、できると思っていたから負けて悔しいと思ったのだ。意外と自信過剰なのかも。というか自信過剰なんだと思う。
次に須貝さんの「自分は負けるのは当然だと思っている」(P19)という文からインスパイアされたできないと悟っていた私のお話。中学時代、陸上部に所属していた。
でも足はとっても遅かった。周りは運動神経抜群で、どんなに努力しても追いつけないと悟らされるのはきついものがあった。
タイム測定の時に隣のレーンの子に負けると悔しかった。大会でビリになると悔しかった。でもさっきの自分とは違う。最初からできないとわかっているところが。
言われなくてもできないってわかっているのに、「ほらやっぱりできないじゃん」と結果で示されるのが苦しかったのだろう。
じゃあ勉強における「できない」が何を引き起こすの?私は自分が上の下くらいにいられる環境が心地よいと思ってしまう。(そもそもランク付けするなという論争は一旦置いておきます)
できないこともあるけれど、大抵はその環境の中で「できる」方に分類されるから精神の衛生状態が良いのだ。でもこれはちょっと勿体無いと思う。もっと成長できるはずの機会を逃していると思うし、実力以上の評価を得て慢心する危険性が潜んでいるからだ。
平均80点のクラスで85点とってB評価をもらう
同じ点でも環境によって他人からの評価は違って、できない烙印を押されないために逃げの姿勢が形成されてしまったことは私にとって大きな損失だったと思う。
これからわかったのは、
ということである。(何ともお恥ずかしい話)
須貝さんはきっと、負ける原因の探究が上手なのだ。実際に、文中では「負けたときというのは、絶望している場合ではないんですよね。結果と原因をしっかり見つめたほうがいいと思っています。」(P13)と語っている。
負けることは決して悪いことじゃなくて、なぜ負けたのかに焦点を当てられる。結果よりも過程が大事だという言葉があるが、まさしくそれだろう。
負けという事実に落胆している場合ではなくて、自分はそれに向かって何をして、なぜ負けて、この負けは私にとって何をもたらしてくれるのか。それを考えるほうがよっぽど建設的である。
須貝さんの学びのルーツは私に、負けと向き合う勇気を与えてくれた。
環境が学びへの姿勢を形作る
伊沢さんの学ぶ環境づくりのお話。
学ぶことに対するイメージや心の準備は環境によって徐々に形成される。小学生の頃から学校に通い、学ぶという行為はしているものの、そうした学びに対する姿勢を自発的に作り出すことは難しい。
実際に文中でも伊沢さんは「育った環境によって漠然としたマインドセットを手に入れ、それが今でも活きているんです。」(P135)と語っている。
他方、環境が学びの足を引っ張ることさえある。私が思いつく範囲では、
「英語の発音がいいと揶揄われる(からかわれる)」
「休み時間に勉強していると、ガリ勉だ!と馬鹿にされる」
などが挙げられる。自分が大学生、20歳になった今。QuizKnockのメンバーが口を揃えて語るように、学ぶ姿勢は親の影響が大きいと思う。
ただ親とは関係なしに別の環境下で育てられた学びへの姿勢もたしかに存在する。
親に影響を受けた理科好き
私は理科、とりわけ化学が大好きだ。高校受験時に偏差値が一番高かったのは理科だし、高校入学後文系に進んでも選択科目で化学基礎を選択した。
いつから好きなのかと言われても何となくずっと好きな気がしているが、おそらく母親が理科好きだったことに起因する。
紫キャベツの煮汁を使い、洗剤やお酢など家にあるもので酸性アルカリ性の色の違いを見て遊んだ記憶がある。皆既日食や月食の時に、家族総出で庭から見ていた記憶もある。
こうした幼少期の何気ない日常がきっと理科への興味を駆り立てた。
もしくは、経験に基づく勘によって、難しい問題を知識の応用を通して解けた成功体験の積み重ね、つまり得意であるという自信が、理科好きにさせたのかもしれない。これらを見ると親からの影響が大いにあると思う。
知識を蓄えるという動作を無意識のうちに行っていたことで、挙手をして答えて正解するなどの成功体験を積み重ねる上でネックになるハードルの高さを下げてくれたのかもしれない。
親と逆をいく勉強好き
私は真面目に勉強することが案外好きである。
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休日に英語の勉強をしたり、やってもやらなくてもいいよ!という課題こそすごくこだわって渾身の出来のものを出してしまったりする。
親は、大学生なんだから遊ばなくていいの!?単位は取れればいいから、もっと遊んだらいいのに!と言ってくる笑
周りにいる子は勉強を頑張る子もいれば、バイトに精を出す子もいる。恋愛を謳歌する子もいれば、部活一本という子もいる。
それは良し悪しではなくて、その子が何を一番に考えているかだからみんな何かに一生懸命で刺激を受ける。
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親が幼少期いくら本を読んでいても私はちっとも読書が面白くなくてハマらなかったし、知識が無さすぎて、本当に大丈夫??なんて心配されたこともあった。
だから勉強すること、読書することは別に親から影響を受けたつもりはない。勝手にハマって勝手に冷めてを繰り返して、今に至るから。
ただ、できてもできなくても、やってもやらなくてもほぼ同じテンションだった親だからこそ、特に気負いせずのびのびと学べたのかなとは思う。
学ぶ姿勢を示してくれたQuizKnock
その上で、今の私が「学びって楽しい!!!」と思えているのは間違いなくQuizKnockのおかげであり、伊沢さんに憧れたからである。
勉強というと机に向かって参考書を読んだり、問題集を解くことをイメージするかもしれない。
でもサークルのミーティングで違和感のある部分を指摘する、ゼミで意見を述べるという行為も大きな枠組みで言えば勉強の場だと思う。
実際私はそうした場面で発言することを躊躇うことがある。それは挑戦へのリスクが高いから。
「もし頓珍漢なことを言ってしまったら」
「そんな意見しか持てないのかと馬鹿にされたら」
と怖くてたまらない。
だからこそ、文中にあった「チャレンジしようとしている、とても貴重なタイミングを、どう守るか、どうやって良いものにするかが、僕の仕事だなと思っています。」(P141)という伊沢さんのお話が印象的だった。
学ぶことがまるで正誤だけの世界だと思っていた私にとって、正解か不正解かを問わず「答えてみる」という挑戦したこと自体を丁寧に守るその姿勢こそが「学ぶ楽しさ」というテーマの裏に隠された、たしかな土台なのかもしれないと思った。
そうした安心感という土台に支えられて、私はQuizKnockから「学ぶことは楽しいことで、知識を基に考えることは日常を彩ることにつながる」と教えてもらった。
知識があることで世界の解像度が上がること、正誤にかかわらず自分の意見を持つことは恥ずかしくないということ。
その学びへの抱擁力、知識を面白がる雰囲気が、QuizKnockファンがコメント欄で考察を活発に行ったり、QuizKnockで学んだことが活きた経験をシェアしやすかったりする証拠だと思う。
だから、伊沢さんの「環境が学ぶ姿勢を作る(意訳)」という考えは、私自身がQKに出会って変わった部分であるため納得感があった。
私にとっての学びのルーツ
結論から言えば、「すごいね!」と褒められた経験の積み重ねだと思う。
私は多分、人よりも褒められることが好き。褒められて嬉しいのは普通かも。でも私は褒められるのがモチベーションアップの秘訣だし、褒められることで20年間生きてきた。
だからきっと、褒められなかったら勉強もしないし、リーダーもやらないし、バイトで+αの仕事をしたりもしない。
自分で自分を褒めることは得意じゃないし、それでは満たされない。だから恥を忍んでいうならば他人に褒められないと頑張れない、かなり他者依存な20年を生きてきた。
勉強を頑張るとすごいね!さすがだね!と先生が褒めてくれた。あなたはこの問題が解けると思ってた!と言われるのが気持ちよかった。
そして、先生たちが持つ私のできるイメージを崩さないようにというある種の強迫観念が私を駆り立ててきた。
だから、他人が頑張らないところを頑張るのが得意だったように思う。同じ努力量でも褒められる量が増えるから。
- 期末テストの副教科は満点を狙う
- 追加課題や自由課題は進んでやる
- 課題として出されていないけど気になることは先生に聞く
学ぶことを褒められ続けてきたからこそ、私はきっと学ぶことが好きだし、褒められた科目が得意になっていった。その先に今の大学での「好き」を追求した学びがあるのだと思う。
他人に依存したモチベーションかもしれないけれど、ルーツとしては嘘偽りない。
おわり
読んでくださりありがとうございます。私はQuizKnockに出会ってから、勉強観も学びへの姿勢も変わった1人です。
みなさんにとってQuizKnockはどんな存在でしょうか?思いを馳せながら『学びのルーツ』を読むと、自己分析に役立つかもしれません!
まだの人はぜひ読んでみてくださいね!
この記事を書いた人→奥野梓菜/Azuna Okuno
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