「日本の有効求人倍率は1を超えていて、仕事の数も多い。それなのに、何故就活が「怖い」と悩む大学生がこんなに多いのでしょう」
社会学の授業の導入。教授がそう問いかけたとき。私が心の中で出した答えは、「……なんでだろう、就活の「全部」が怖いから?」という疑問形。
データを示されることで頭では理解できても、自分の中で腑に落ちる感覚はない。過度に膨らんだ「知らない」は「恐怖」に直結するんだろうな、とぼんやり思う。
講義終わり。暇になって立ち寄った生協の書籍コーナーで、『六人の嘘つきな大学生』に出会った。
来年就活のスタートを控えている身。「就職を扱うコンテンツを摂取したい」という好奇心と、「就活と嘘の掛け合わせはそれ相応にあるんじゃ……」という謎の苛立ちが私を掻き立てた。
「読もう」と決めて一気に読んで、その日いっぱい酷い吐き気が止まらなくなった私の感想。
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皆さんこんにちは!ガクセイ基地のまなみです。
夏休みも後半ですね〜。毎日酷暑だったり、豪雨だったりと天気の情緒不安定っぷりにはかなり不安にさせられます。
私は今回の夏休み、媒体問わずエンタメを摂取することを目標にしています。前期に積読として追いやっていた本を引っぱり出したり、映画館に行ったり。やることは盛りだくさんです🗻
その影響で最近は書評記事がかなり増えているのですが、今日は本と映画の感想を掛け合わせて書こうと思っています。
作品はタイトル通り、『六人の嘘つきな大学生』と『インサイド・ヘッド2』。
実は最初は『六人の〜』単体で書評記事を書こうとしていたのですが、この2つの作品が持つテーマの親和性が非常に高かったことから、2作品を掛け合わせた記事を書くことにしました。
あらすじだけでなく、作品の根幹にも触れています。なので、「前情報ゼロで作品を楽しみたい!」という方は記事を閉じて書店と映画館に向かってください。
では早速!
・「自分らしさ」がわからなくなっている人
・話題作の感想を一気に美味しく読みたい人
※本記事では、『六人の噓つきな大学生』『インサイド・ヘッド2』をそれぞれ読破・鑑賞したことを前提として執筆を行っています。
目次
『六人の~』から考える、他人の多面性
VS多面性、私の弱さ
私はいつから、他人の多面性を認めるようになったのだろう。
前の記事にも書いた。
(ガクセイ基地 2024年8月24日更新記事より)
私はいつからそんな達観した思考を持つようになったのか。
でも結局、私自身も人の表と裏…… あの本で言う、「月の表と裏側」に大いに転がされている存在だということを大いに痛感させられた。他人への期待も失望もやめられていないんだ。
私はとてもじゃないけれど、同学年・芦田愛菜のようにはなれない。
「好きだけじゃどうにもならないことってあるよね」と友達と何回も話して、その度にいろいろなものを諦めて、手放したことを思い出す。その中には期待もあったはずなのに。
「欲」って怖い。欲が働くときに、人間は目の前の客観的な事実を歪めて解釈してしまう。
芸能人やアスリートがSNSで誹謗中傷される流れだって、実際本当に客観的に物事を見つめている人間はどれくらいいるのだろう。
彼ら彼女らの一面、起きた物事の一面しか私たちは見ていなくて。その「一面」だって脚色されたものなのかもしれないのに。
他人、御社、私はどう向き合いたい?
じゃあ私は、その他人の多面性にどう向き合えばいいんだろう、と途方に暮れてしまう。
本作を読んだ後の吐き気と眩暈がするような感覚は、作品全体で繰り広げられる急上昇と急降下についていけなかったから。
就活そのものに対しては、どう考えたら良いかますますわからなくなってしまった。
でも、わからないなりに考えたことを書くとしたら、就活には「今見えていないものを見に行ける機会」がたくさん詰まっているんじゃないか、と思う。全然イメージのわかない職種、初めて聞くような経歴、自分の知らない経験を持っている同年代、とか。
そんな過程をどうか憎むことなく楽しめたらと思うし、今「ガクセイ基地」内で行われている連載にもそういった希望を託している。
きっと、出会う全てのそれぞれに嘘もたくさん紛れているんだろう。残念ながら私は「それ」を見破れるほど私は高尚な人間では無いし、もしかしたら上手に使われてしまうかもしれないけれど。
でも私は、全部を信じきることに決めた。
だって、嘘をつくかつかないかで惑う人間の姿なら信じられるから。
『インサイド・ヘッド2』から考える、私の多面性
「指令室」ぶっ壊れシーンの解釈
私はいつから月の表面だけで生きていけなくなった?
いつからこんなに綺麗に生きていけなくなったのだろう、と不安になることがこの頃たくさんあった。けれど、映画を観て「きっと私の脳内指令室も相応にぶっ壊れたタイミングがあったんだな〜」と少し安心した。
序盤。ヨロコビによって、ライリーの「いらない記憶(と感情たちが判断したもの)」が遥か彼方にふっ飛ばされたとき。
「この機能があったらどんなに幸せか……」というイイナ〜半分、「でもこれじゃあダメなんだよな……」という気持ち半分に。(後者は何?達観?)
シンパイの手でヨロコビたちが指令室を追い出されるのは、思春期によって元々存在したヨロコビたちが「抑圧された感情」になるということ。
単純に感情表現をすればいいってものじゃなくなるのが、「シンパイ」たち新参組が、「他者の存在によって生まれる感情」であることからも読み取れる。
シンパイも指令室を乗っ取るときに「こうするのは不本意だけど」みたいなことを言っていたので、やむを得ない介入なのだろう。
こうやって感情をコントロールしていくからこそ、いろいろな場面での立ち回りが生まれて自分の中の「月」が球体になっていくのだと思う。
「シンパイ」はヴィランでは無い、絶対に。
個人的に、終盤のシンパイが暴走して嵐を引き起こすシーンが一番しんどかった。
わかるんだ、定期的にキャパオーバーを引き起こして「好きで始めたこと」が自分を追い詰めてしまう辛さが。
その先に辿り着くのが「私は全然ダメ」という心根の完成、というのに映画館にいるときは心が追いつかなかった。
でも今ならなんとなくわかる。「心配しすぎ」は、積み重ねると究極の自己否定になってしまう。
「できなかったら」「ダメだったら」という心配はしやすいけれど、「上手くいったらどうしよう!?」という「シンパイ」の感情の使い方はあまりされないというか……。
展開や視点の動かし方的に、どうしても「新しい感情たち」やシンパイがひたすら暴走しているように見えてしまうけれど、私はこの子が愛おしくて仕方がない。
嫌な記憶すら、自己受容のトリガー
映画の終盤、ヨロコビたちは自分たちが作り上げてきた「わたしはいいひと」というライリーの自分らしさを取り戻すことに成功する。
……にもかかわらず、アイスホッケーの試合でペナルティボックスに入ったライリーのパニックは収まらない。「わたしはいいひと」一つだけを自分らしさとして生きていくのはあまりにも窮屈で、綺麗すぎて、応えられなかったときの自己嫌悪がとんでもなく大きくなってしまう。
ここで敢えてヨロコビが「理想の自分らしさ」を引き抜いたことで、ライリー自身の「一言では言い表すことができない」自分らしさが新しく生まれる場面、好きすぎたな……。
いわゆる単純な感情だけでやっていくことは難しい、ということをヨロコビ、もといライリーが受け入れたのがよかったし、何より感情もそれぞれ成長していることがわかる場面があったのも個人的にグッときた。喜怒哀楽だって、四文字に押し込めるには狭いくらい多様な色を持っていると思う。
それと同じく、シンパイたちも「どう立ち回れば合理的か」みたいな方法論、かつ他人に左右されがちな自分(感情)たちでやっていくことの困難さを受けとめたのだと感じる。
感情同士がお互いに存在を受けとめたことで、ライリー自身も「感情がごちゃごちゃしていて、自分でも何が何だかわからない 自分のことがわからない」状況から脱却して、過去のいいこと悪いことを全部まとめて「自分」として愛せるようになった。
私は今でも自分で自分がわからなくなることがあるけれど、多分「わからなくなっている」ことを認知しているからそこまでパニックにはならない。
無理に疑問を解消しようとするよりも、自分で自分の状態を大らかに受け止めることの方が楽だし大らかになれるよね。
多面性×多面性「ぜんぶわからん!」
就活(というか面接)って、どうしても自分の一部を切り売りしているようなイメージが抜けない。
「御社が求める学生」としての自分、「○○に力を入れた学生」としての自分 というか。
『六人の〜』で登場した大学生たちの中にもきっと「シンパイ」は存在して、用意周到に、綿密に、合理的に動けるようにアニメーターたちに指示を出していたのだろう。0
かと言って、それを責めることができるほど私だって(いわゆる単純な)感情だけで生きているわけではない。
ただ一個、この2作を通じて「私のことを簡単に判断できると思うなよ!」という謎・挑戦者マインドと「あなたを「わかろうとする」ことなんておこがましい!」というひれ伏しマインドが私の中で生まれた。
相反しているけど、これはこれで、私だ。
限られた時間と選考方法で、私の過去も今も未来に対しての考え方も測れるはずがない。
「私の今までの全部」が積み重なって「自分らしさ」が構成されているが故、私らしさを一言で表すことだって不可能なんだと思う。
「彼」が就活にご立腹だったのもなんとなくわかる。
だからこそ、私もどんなに時間的な猶予や機会があったとしても、相手や会社のことを理解することなどできないことに自覚的でいなくてはならない。
まぁ多分、私は自分の「一部」しか見せていないように思っていても、わかる人からしたらきっと私の「自分らしさ」は良くも悪くも見抜かれてしまうのだろう。
冒頭に書いた。就活って「知らないが故怖い」のだと。でも正直、知れば知るほどわからなくなることもある。「知っている」からといって怖くなくなる訳でもないんだと思う。
そんな「怖さ」を、どうか楽しんで愛せる私で在れたら。
書籍・作品情報
六人の噓つきな大学生
タイトル:六人の噓つきな大学生
著者:浅倉秋成
発売日:2021年3月2日
出版社:KADOKAWA
実写映画:11月22日公開予定
インサイド・ヘッド2
タイトル:インサイド・ヘッド2
(原題:Inside Out 2)
製作:ピクサー・アニメーション・スタジオ
ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
公開日:アメリカ→2024年6月14日 日本→2024年8月1日
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