休みの日の過ごし方

ロベン島訪問記 ~平成最後の夏、ネルソン・マンデラ氏の故郷 南アフリカ共和国へ~

 2018年9月中旬、南アフリカ共和国のケープタウンから行くことのできるロベン島をツアーで訪問しました。日本からは遠く、なかなか行く機会のない所だと思うので、訪問記を皆さんにお届けできればと思います!

 

 

 9月は、日本ではまだ暑さがだいぶ残る時期ですが、南アフリカ共和国は南半球に位置するため、春の始まりといえど冬が終わったばかりなので肌寒いです。

 

 

 

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 ロベン島最大の目玉は刑務所です。27年間投獄されていたネルソンマンデラ元大統領が、最初の18年間をこの刑務所で過ごしました。

 

 この島にはもとから刑務所があったわけではなく、島民が暮らしていました。

 

 刑務所がたてられた当時、ロベン島は地理的に泳いで逃げるのが難しいだけでなく、当時は多くのサメがいたため脱走が非常に困難でした。これらの条件が収容所に適した環境だったのです。

 

 

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アクセス方法

 

 ウォーターフロントというケープタウンの大型ショッピングモールから定期便が9時、11時、13時、15時に出ています。

 

 

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 赤い(ピンク色の)時計台のすぐ近くに灰色を基調とした建物があります。そこでセキュリティーチェックを受けてからロベン島行きの船へ乗ります。下の写真が目印です。

 

 

 

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 チケットは当日その建物内で買うこともできますが、売り切れては困るので、あらかじめネットで予約しました。

 

 波の状態によってはその日のツアーが中止になってしまうこともあるので、天候と波の状態が良好そうな日を選んだあとは、全て祈るばかりです!

 

 

 

いよいよツアー開始

 

 島に到着すると大型バスが何台か見えるので、乗り込んで出発です。ガイドさんは各バスに1人いらっしゃいます。

 

 最初にどこから来たか聞かれ、自分の国が呼ばれたら皆さん手を挙げてました。私が乗ったバスに多かったのは、南アフリカ共和国とイギリスとアメリカ合衆国出身者でした。

 

 まず初めに見えたものはモスクでした。バスの中からしか撮ることができなかったので少し見にくいです。島内には教会も何箇所かにありました。

 

 

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 次に見えてきたのはフェンスに囲まれたいくつかの墓でした。

 

 こちらも写真は見にくいですが、家族や故郷から引き離されたハンセン病患者の墓です。ハンセン病患者はロベン島に「政治犯」が収容される前、隔離されるかたちでロベン島に移されていました。

 

 ロベン島に収容されていたのは何も「政治犯」だけでなく精神的に問題があると見なされた方々 (精神障がい者という言葉が適用されると思います) も含まれていました。

 

 

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 この話を聞いた時、真っ先に私の頭に浮かんだのがアウシュビッツ強制収容所でした。私がケープタウンに来る前に8月に訪ねたアウシュビッツ強制収容所でも、ほぼ全く同じ内容と言える話を聞きました。

 

 アウシュビッツ強制収容所は元々、ドイツ政府の政策に反対する「犯罪者」を収容する目的で作られたそうですが、後々身体障がい者も、最終的にはほぼユダヤ人を収容する目的が大きくなっていったそうです。

 

 ロベン島に収容所が作られたのは第二次世界大戦終結から時がかなり経ってからなので、人間は歴史から何を学んでいるのか私自身は何を学んでどう生活できているのか、と自問自答しながら考えにふけっていました。

 

 

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 次に見えてきたのは、何やら白い岩の壁です。先に何かをお伝えしておくと、正体は石灰石採石場でした。

 

 

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 石灰石採石場で働いたうちの1人がネルソン・マンデラ氏です。島内での石灰石の需要はほぼありませんでしたが、採石の目的は「政治犯」に何かをさせておくことだけでした。

 

 マンデラ氏は13年間ここで働いたことにより、聴覚に問題を抱えることになりました。

 

 マンデラ氏と彼の仲間たちはここでの労働時間を文学、哲学、歴史、時事問題などを学ぶ時間にもあてたそうです。

 

 ガイドさんは次のようにまとめました。

 

「ロベン島での教育は権利(Right)ではありませんでした。特権(Privilege)でした。

 

 政治的議論はこの洞窟で行われました。憲法の基礎は、今日の南アフリカの憲法はここで話し合われました。つまり、南アフリカで最初の民主主義です。

 

 この石の山は人間の根性(魂・精神)の勝利を象徴しています。

 

 ロベン島は、アパルトヘイト(人種隔離政策)のように肌の色や性別、宗教の違いなどによって人々が差別されることが2度とあってはならないというメッセージを皆さんに伝えているのです。

 

 皆さん手を手を取り合って一つになりましょう、そして皆が1つの民族(race)になるのです。それは人類(Human race) です。アーメン。」

 

 

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休憩

 

 ガイドさんの締めくくりともとれるような言葉でツアーがほぼ終わったかのように感じられますが、違います!その後も島内を進み病院や学校や教会をバス内から見て回った後、少しの休憩を挟んで、ツアーは続行しました。

 

 休憩場所からはケープタウンの景色が綺麗に眺めることができ、外から見ると、自然豊かな都市だということが改めてうかがえます。

 

 

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ツアー後半戦

 

 バスに再度乗り込み進むと、初めの方に見たモスクがある付近へ戻ってきました。今まで一緒に回ってくれていたガイドさんとはここでお別れし、バスを降り立った先のフェンスで囲まれた入り口に次のガイドさんが待っていました。

 

 彼は実際にロベン島に収容されていた元「政治犯」でした。ロベン島では元「政治犯」がガイドとなり、実際に体験したことや、当時の様子を刑務所があった所で話してくれます。

 

 全員がバスから乗り降りると、刑務所の簡単な説明からガイドが始まりました。

 

 

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 拷問がどれほどひどいものだったのか「非人道的という範疇を超えていた」という言葉を何度も使い、話していらっしゃったのが印象的でした。

 

 また、少しでも良い条件、治療、スポーツの機会、書籍、警備員に暴力を止めてもらう、バランスの取れた食事などの要望を聞いてもらうためにハンガーストライキを行ったとも仰っていました。

 

 少し歩いて進むとある建物が見えてきました。この建物内に約700人が収容されていたとのことです。

 

 

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 1つの監房に40人が収容されていたそうです。

 

 

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 トイレ、洗面所、シャワーはありますが、ドア等はなくプライバシーはありません。

 

 

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 ネルソン・マンデラ氏が収容されていた独房を見に行く前に、さらに詳しい説明がされました。

 

 刑務所の敷地内に独自の裁判所がありますが、治犯」は弁護人を呼ぶことは許されていなかったため、自分自身で弁護するか、他の「政治犯」に弁護を頼むしか方法がなかったそうです。

 

 スポーツに関しては、サッカーをすることは土曜日のみ許されていたそうです。

 

 先ほどの写真のような1つひとつの建物は入る人が決まっていて、ネルソン・マンデラ氏が収容されていた建物にはSenior Leaders(シニアリーダーズ)と呼ばれた人々が収容され、別の建物はセクション・ナミビアと呼ばれナミビアの「政治犯」だけが収容されていたそうです。

 

 新聞などは普通は手にすることができないため、警備員からこっそり盗んだり、優しい警備員は話してくれた為、本国では何が起こっているのかを聞いたりして何とか社会の状況を知ろうとしていたそうです。

 

 

 

ネルソン・マンデラ氏の独房

 

 やはり皆さん、一番気になるのがマンデラ氏がどこでどのような生活を送っていたのかです。マンデラ氏の居た独房だけが看板等で表示されているわけではないので、ガイドさんの話を聞いていないと通り過ごしてしまいます。

 

 

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 赤いバケツが置いてある独房がマンデラ氏の居た独房でした。1つひとつの独房に同じバケツが置いてあったそうです。

 

 

 

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 このバケツは独房に入れられた者に与えられ、トイレとして使わなければならなかったそうです。

 

 暖房設備は全くないため、冬にはブランケットのみでしのがなければなりませんでした。

 

 以下はガイドさんの言葉をなるべくそのまま訳します。

 

「マンデラ氏はこの刑務所の中ですら非常に影響力のある人物でした。とても強い人間でした。

 

 事実、刑務所の裁判で弁護人として皆がマンデラ氏を呼びました。裁判所で他の「政治犯」の言い分を弁護しました。

 

 彼はここで刑務所内生活27年の初めの18年間を過ごしました。27年のうちの初めの18年間です。

 

 マンデラ氏は名前ではなく、466/64という番号で呼ばれていました。466というのは刑務所の名前で、64はロベン島に来た日です。

 

 

 彼はこの独房の中で「自由への長い道」という本を書き始めました。マンデラ氏の仲間も本を書くのを手伝いました。解放された後もプロの作家にサポートしてもらいながらその本の執筆を続けました。

 

 マンデラ氏の強さはこの刑務所内においても示され、政治についてのディスカッションやディベート、政治についての議論の文化を変えていくことに長けていました。それが彼が刑務所内で最も好きだったことです。 

 

 マンデラ氏は「政治犯」にとって大きな資産でした。彼は、「政治犯」同士の問題を解決する手助けをしました。彼は仲裁に大変優れていました。驚くことではありませんが、彼は弁護士だったのです。 

 

 政府はシニアリーダーズたちの刑務所での影響力を縮小させようと懸命になっていましたが、それは不可能だったのです。彼らの力はあまりにも力強いものだったのです。

 

 皆さん覚えていてください。ここから解放された主導者たちが痛みや苦しみ、人種差別的なこと、怒りや恨みを口にするのを決して聞いたことがありません代わりに、和解を手にしたのです。

 

 さて、そろそろ行かなければならない時間が近づいてきました。ツアーはここで終了です。「政治犯」が解放された出口を通ってお帰りになってください。ありがとうございました。」

 

 

 

感想と注意点

 

 

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 ツアーは人数も多く、時間にも限りがあるので仕方のないことですが、もう少しガイドの方の近くで沢山質問がしたかったなと思います。

 

 また、私のリスニング力不足でもありますが、ガイドさんの英語の訛りがかなり強いので全てを完璧にその場で理解することが難しかったです。

 

 よって、これから行ってみようと思う読者の方がいらっしゃれば、是非ロベン島のことや南アフリカの歴史を学んで少しでも多くの前提知識を持っているとより分かりやすく、理解の深まるツアーにすることができると思います。

 

 もしバス内からも写真を綺麗に撮りたいという方はフェリーから降りて島に着き次第、早くバスへ向かい、窓側の席を確保するのがベストでしょう!

 

 私は幸いにもしませんでしたが、船酔いにも気を付けてくださいね。

 

 

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 ただの旅行で終わらせたくない方は是非世界遺産でもあるロベン島へ行ってみてはいかがでしょう?

 

 

 ツアー申込はこちらからできます!

 

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gakuseikichi

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