こんにちは!ガクセイ基地のめいです。
今回は、8/20-8/23に行われた早稲田大学国際学生寮WISHの福島県実地研修で感じたこと思ったことを、言葉にして残したいと思い、研修レポートにしてみました。遅くなってしまったのですが、どうしても多くの人に届けたいと思い…!
(WISHについて知りたい方はこちらから!)
東日本大震災から14年経った「今」の福島の様子や、感じた新たな魅力を、私なりの言葉でお届けしたいと思います。
目次
1日目
東日本大震災・原子力災害伝承館・語り部講和
まずは、この伝承館について紹介していきます。
・福島で起きた地震、津波、東京電力福島第一原発事故の複合災害の実態の展示
・復興に向けた歩みの展示
・被災した住民による語り部講話の実施
などが行われています。
詳しくはこちらから!
ここで一番印象的だったのは「安全神話」という言葉です。
高度経済成長期、交通の便が悪く人が少なかった福島県浜通り(海沿いの地域)に原子力発電所が作られることとなりました。雇用を生み出し、地域の活性化をももたらす原発は県民にとって大事なものであり、生活になくてはならない、そんな存在でした。もちろん安全面に関する不安の声もあった様ですが、「5重の壁があるから大丈夫」だと言われており、みんな大丈夫だと信じていました。緊急事態用の対策は考えられていたものの、原発が壊れるなんて誰も想像していなかった。結果論にはなりますが「対策は甘かった」のです。これこそが安全神話です。
この話を聞いて何を思ったか。それは、もっと批判的にそして自分事として捉えることの大事さです。「もし、あの時『安全神話』を批判的に見ていれば。」「本当に事故は起こらないのだろうかと疑いを持って原発の話を聞けたら。」
今私たちの周りでも都市の再開発、森林伐採などたくさんのことが行われています。物事にはメリットとデメリットが存在します。目先の利益だけを見るのではなく、本当にそれでいいんだろうかと、一度立ち止まって考えることが大切なんじゃないか。そう強く思いました。
また、風評被害の大きさも感じました。現在風評被害をなくすため、たくさんの検査をしたり、安全ですよというラベルをはったり、たくさんの取り組みが行われています。しかし、なんだかまだまだ避けようとしてしまう、そんな節ありませんか?正直、私は福島に行くまでやっぱり怖いと思ってしまっていました。
実際に福島を訪れてみて、まずは今の福島の状態を知った私たちが、意識的に変えていかなくてはいけないのではないかと考えるようになりました。確かに、何も知らない状態において、避けてしまうのはしょうがないことかもしれません。でも、知ったんだったら、風評被害を少なくするため自分たちが動く必要があるのではないか!そう思っています。加えて、語り部講和の内容に今回はあまり触れていませんが、これは一度皆さんに聞いてほしい。こんな思いを持って現在生活しているんだということ、当時の状況がどんなものだったのか、生の声を聞くことができます。たくさんのことを想像しながら聞くと、涙が止まりませんでした。
研修の最後に福島県で育てられた桃を頂いたのですが、本当においしかった。今まで食べた桃の中で一番おいしいと言っても過言ではないです!!そんな福島の美味しい食べ物がもっと多くの人に届く未来が楽しみです。
震災遺構 浪江町立請戸小学校
全員が無事避難することができた奇跡の学校としても知られている請戸小学校。
校舎に刻まれた震災の脅威と、全員が避難できたという経験を伝えるために、2021年から震災遺構として公開されています。詳しくはこちらから!
実際に訪れてみると、実際に校舎の2階まで水が来ていた様子や、まだそのままになっている押し寄せてきたがれきの様子を見ることができました。

中でも、印象に残ったのが印刷室の様子です。写真のように、どこかにあったであろう椅子があったり、木や土のがれきが積みあがっていました。

「津波によってたくさんのがれきが」というフレーズはこれまで何度も聞いてきて、自分では分かったつもりになっていました。しかし、実際にそのがれきを目にすると、被害の大きさだけでなく、それを撤去するための大変な作業や人々の苦労まで想像されて、胸が締めつけられるような思いがしました。
また、『請戸小学校物語 〜大平山をこえて〜』というタイトルの絵本も印象的でした。
請戸小学校の教職員と児童が全員無事に避難できた“奇跡の物語”が題材となっているこの絵本。当時の様子がよくわかるものとなっています。当時小学生だった子たちも、今では社会人や大学生に。時間がたつのは早いような、遅いような。そんなことを感じた震災遺構見学でした。
2日目
東京電力福島第一原子力発電所
放射線レベルがまだまだ高いため、直接中に入ることはできませんでしたが、敷地内に入り、どんな様子なのかを見ることができました。放射線の被爆度を測る機械をつけ、見学の後には除染をする。この工程一つ一つに、放射線の怖さとこの原発事故の怖さを感じました。
想像以上に大きかった原発。でもそれは、ただのコンクリートの塊なんかじゃなかったんです。 目の前にあるのは、「絶対大丈夫だ」という傲慢なまでの人間の考えと、未来への希望がぎっしり詰まった、巨大なエネルギーのシンボル。それが一瞬にして、自然の圧倒的な力と、「まさか」を考えなかった人間の甘さが重なり合って、あっけなく、崩壊してしまった。その事実を噛みしめるだけで、胸が締め付けられるような気持ちになりました。
さらに、どこまで廃炉が進んでいるのかということについて。正直な感想は、全然進んでいない、でした。思っている福島の復興状況と、実態にはもしかしたら乖離があるかも知れません。その意味も込めて、できるだけ多くの人に現状を伝え、風化という第二の災害を防ぎたいと感じました。
双葉町内見学
双葉町は福島第一原子力発電所が位置する町の一つです。
原発事故があり、全町非難を強いられていましたが2022年8月30日に一部地域で避難指示が解除され今は、住むことはできるようになりました。ただ避難先で新たな生活があり戻ってくるのが難しくなった方や、放射線の被害を懸念される方も多くいて、まだまだ復興したとは言えない状態です。
そんな双葉町にある双葉南小学校と役場旧庁舎を見学させていただきました。率直に感じたのは「生活が一気に変わったんだな」ということです。旧庁舎の様子を見ていただくとわかるように、資料が乱雑に放置されていることがわかります。あの時までは、いつものように仕事をしていたのでしょう。小学校の下駄箱の写真もご覧ください。子供たちの靴がたくさん残されています。なぜだかわかりますか?
それは、地震がおきて上履きのまま外に避難したからです。子供たちも大人と同様、いつものように授業を受けていたのでしょう。
当たり前の日々が、一気に崩れ、まだそれは完全には戻っていないんだ。そんなことを痛感する町内見学でした。
(旧庁舎の様子)

(小学校に残された靴)

最後に屋上から見た写真を見てください。除染土が保管されている様子を確認できます。
(左にあるのが県内で保管している除染土)

しかし、この除染土を含め中間貯蔵で保管されているものたちは、中間貯蔵開始後30年以内(つまり2045年3月まで)に福島県外で最終処分を完了させることが法律で決められているのです。それをどこで処分するのか、私達もしっかりと考えなくてはいけない問題です。
確かに知らないことは多いです、でもインターネットも普及しており知ろうと思えば知れる時代。どんな問題が起こっており、どんな行動ができるのか。それを考えるきっかけに、この文章が繋がっていたら嬉しいです。
3,4日目の内容も記事にしていきたいなと思っているので、Part2もお楽しみに!










